幕末ー北越戦争の総督・河井継之助の話です。

日本が勤皇だ攘夷だ佐幕だとにぎわってる中で長岡藩を日本の中の
独立国にしようと考えさらに実行。

スイスのような中立国を目指しました。

官軍(薩摩・土佐・長州等勢)に中立でいる旨を話しあいに行くが
対応した官軍側がおばかさん達ばかりで河井を追い返してしまう。

で、負けるとわかっていても河井は長岡藩家老の立場から官軍との
北越戦争を決意。

激戦をくりかえし官軍を苦しめていたのだが長岡城奪還戦の際の
負傷がもとで,慶応4年(1868)8月会津塩沢で没しました。


民者国之本(民は国の本)吏者民之雇(吏は民の雇い)


訳:国は人民のためのもので吏はその人民に雇われているのに過ぎない


継之助は近代政治について精通していたようでちょんまげに刀で
なにかあれば切腹な幕末にこんな考え方ができたのは坂本龍馬と
彼ぐらいであっただろうと思う。

生まれが薩摩や長州であったならば今頃、福沢諭吉ではなく
河井継之助がお札の肖像になっていたかもしれない。
そのぐらいに大きな人だと思いました。

読書を計画していましたら峠(上・下)を一度読んでみてください。
男性に読んでもらいたいです。